「村上宗隆の活躍が凄いけど高校時代はどうだったの?」
「出身校での甲子園出場記録や成績、ホームランの数が知りたい!」
「当時の監督・恩師・チームメイトの情報は?」
ヤクルトの村上宗隆選手が今季56号本塁打を打ち、1964年に王貞治さんが記録した日本選手シーズン最多本塁打55本を58年ぶりに塗り替えた事で話題となっています!
史上最年少での3冠王も獲得した村上宗隆選手の活躍の原点は一体どこにあるのでしょう?
ここでは村上宗隆選手の高校時代にフォーカスし、出身校や甲子園の出場記録、成績、ホームラン数についてまとめました!
さらには高校時代の監督についても調査しました!
村上宗隆の出身高校
村上宗隆選手の出身高校は九州学院高等学校です!
九州学院高等学校はキリスト教系の私立高校です!
スポーツが盛んで、剣道部、柔道部、陸上部、サッカー部、バドミントン部、自転車競技部などは全国大会優勝の実績があるなどかなりのスポーツ名門校です。
硬式野球部は2000年(平成12年)に全国高等学校野球選手権熊本大会史上初の3連覇を果たすなどこれまでに春6回、夏9回甲子園に出場しているという実績も持っています!
最近では甲子園での2年生エース直江新投手の活躍が記憶に新しいですよね!
もちろんプロスポーツ選手を多く輩出しており、プロ野球選手にも多くの九州学院高等学校出身者がいます!
現役選手だけでもこれだけの選手がいます!
- 溝脇 隼人:中日(内野手)
- 小田 祐也:オリックス(外野手)
- 島田 海吏:阪神(外野手)
- 中熊 大智:西部(捕手)
- 伊勢 大夢:DeNA(投手)
- 川野 涼多:西部(内野手)
他にも俳優の高良健吾さんなど著名人を数多く輩出しています!
村上宗隆の高校時代のホームラン本数などの成績
村上宗隆選手は2015年~2017年の3年間、九州学院高等学校の野球部で活躍されていました!
当時、同年代として注目されていた以下の選手
- 早稲田実・清宮幸太郎(現日本ハム)
- 履正社・安田尚憲(現ロッテ)
- 広陵・中村奨成(現広島)
彼ら3人と並び「高校BIG4」と呼ばれていました!
しかしながら、4人の中では最も目立たない存在でした!
高校通算本塁打を1つの指標としてこの4人を比較してみましょう!
名前 | 本塁打 |
清宮幸太郎 | 111本 |
安田尚憲 | 65本 |
中村奨成 | 45本 |
村上宗隆 | 52本 |
この4人の中では、52本とそれほど目立たない結果となっています。
村上宗隆の甲子園出場回数
52本でも充分素晴らしい成績なのですが、やはり他と比べると見劣りする部分があります。
さらに目立てなかった要因として挙げられるのが甲子園の出場回数です。
村上宗隆選手が甲子園に出場したのは2015年夏・1年生の時の1回のみ。
村上宗隆選手は1年生ながら4番・一塁で出場しましたがサードゴロ、サードゴロ、センターフライ、セカンドゴロと4打席凡退し、守備でもエラーを記録するなど全く力を発揮出来ず終わってしまいました・・・
その後の大会の結果は以下です!
2年生・3年生の結果
高校2年生(2016年):熊本大会 決勝 秀岳館に2-13で敗退 準優勝
高校3年生(1017年):熊本大会 決勝 秀岳館に1-3 で敗退 準優勝
2年連続県大会決勝で同じ高校に負けるのは相当悔しかったでしょうね!
結果、村上宗隆選手は1度しか甲子園には出場出来ておりません。
ちなみに高校通算本塁打で村上選手より少ない中村奨成選手ですが、2017年の甲子園では1大会の個人最多本塁打記録を更新するなどの活躍を見せ注目を集めたました!
とすると、やはり高校時代の村上宗隆選手は今の活躍からは想像出来ませんが、あまりスポットライトが当たらなかったようですね!
村上宗隆の高校時代の守備ポジション
村上宗隆選手の入学当時のポジションは一塁手でした!
しかし、1年生の秋には捕手へと転向しています!
当時の監督である坂井宏安前監督はこのように語っています!
「捕手として配球を勉強すれば、それが打席にも生きると思ったんです。相手投手の心理を読みながら、狙い球を待つ。ムネは研究熱心だったし、その過程で自分がどう見られているか、客観的に観察する眼も養われたんじゃないかな」
引用:村上宗隆(22歳)はなぜ1度しか甲子園に出られなかったのか? 高校恩師が明かす原点「中3夏までムネのことはぜんぜん知らんかった」(2/3) – 高校野球 – Number Web – ナンバー (bunshun.jp)
元々、かなりの研究熱心・勉強熱心だという村上選手はこれをきっかけに捕手としての読みも加わり、大きく成長ようです!
村上宗隆の高校時代の監督は誰?
すでに前述していますが、
当時の監督は坂井宏安さんです!
2020年にすでに監督を勇退されています。
坂井宏安監督は甲子園最高ベスト4に輝くなど素晴らしい指導者であり、村上宗隆選手を現在のようなスラッガーに育てたと言っても過言ではありません。
坂井宏安監督は村上宗隆選手の練習を始めて見た時に「こいつが4番だ」と思ったそうです!
かなりの衝撃だったんでしょうね!数々の有望選手を見てきたであろう坂井監督にこう思わせるという事はずば抜けた才能があった証拠ですね!
そして坂井監督は村上宗隆選手を長距離打者として育てていく事になります。
「ムネ、内野ゴロを打ったらいかん。そのかわり、内野フライになってもいいけん、球にスピンばかけて、遠くへ飛ばすイメージして打て」
引用:村上宗隆(22歳)はなぜ1度しか甲子園に出られなかったのか? 高校恩師が明かす原点「中3夏までムネのことはぜんぜん知らんかった」(2/3) – 高校野球 – Number Web – ナンバー (bunshun.jp)
先ほどの捕手へのコンバートも含めて、今の村上宗隆選手の基礎を作った事は疑いようが無いですね!
まとめ
以上、村上宗隆の高校時代の成績や甲子園でのホームラン数や監督は誰?についてまとめました!
最後までご覧いただきありがとうございました!
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